• 東京 下北沢徒歩3分 氣はあたりまえの星ノ氣功です。

小学校4年生のころ、
小さな習字教室を母が家でやっていて
書道家の加納守拙先生がふらっと、
立ち寄ってくださった時がありました。
私は、その人が、偉い人なのかどうかも
わからなかったのですが、
「明らかに、何かが違う」
そう、子供ながらに感じました。
けれども、風貌は、質素で、
特に偉いかんじがするわけでもなく、
やせていて、しゃっきりしてる、普通のおじいさん、
というかんじでした。
そのころ、私はすっかり習字にあきていて、
仕方なく書いているような状態だったのですが、
なぜか、そんな私のところに、部屋に入ってくるなり
加納先生は、すっとんできたのでした。
そして、何を言うのかと思ったら
「君の見るべきものは、その手本にはない!」
そう、熱く、そして、きっぱりと、言い放ったのでした。

「????
いつも、習字は先生の手本をよく見て書きなさい
といわれてるのに、なんだ?この人?」
私は、さっぱりわけがわからず、
面食らってぼおっとしてました。
これが、私と加納守拙先生との出会いでした。

加納守拙先生1
加納守拙先生2
加納守拙先生3
加納守拙先生4
加納守拙先生5
加納守拙先生6
加納守拙先生7
加納守拙先生8
加納守拙先生9
加納守拙先生10



コメント一覧

返信2019年6月11日 9:40 PM

高澤直樹24/

加納守拙は僕の大叔父で祖父の弟です。加納守拙の二枚目の作品の読みは『寂寞無事哉』です。

返信2019年6月11日 10:10 PM

高澤翠雲25/

すいません。寂寞の寞は莫と書いてあります。意味は同じです。

返信2019年6月12日 7:58 AM

星ノ氣功24/

こんにちは。星野真木です。 このたびは、本当にありがとうございます。 解読していただいて、うれしいです。 加納先生のご親戚でいらっしゃるのですね。 ブログに載せてみて、よかったです。 それから、重ね重ね、すみません。 寂寞無事哉の、出展や、意味がわかると、うれしいです。 教えていただくことはできますでしょうか。 本当にありがとうございます。

返信2019年6月13日 4:24 AM

高澤翠雲24/

出典は解りませんが、禅語集か良寛の句ではないかと思います。寂莫の莫はなかれというひていの語ととられるかもしれませんが、これは上の寂と同じような意味を重ねた、しずかにとか、ひっそりとか、しじまという意味と思います。昔は寂寞も寂莫も同じような意味に使われていたようです。読みは「せきばく」「じゃくばく」「じゃくまく」「せきまく」などあります。もともと漢字は漢音、呉音、唐音の三種類の読み方があり、面倒くさいからと一字一音漢音に統一されたのは国の政策です。 無事というのは普段使っている意味合いとはちょっと違って、求めなくてもよいことに気づいた、安らぎの境地の事をさす禅語としての意味合いがあると思われます。 『寂莫無事哉』「寂莫として無事かな」は(ひっそりと何も求めない安らぎの境地である)というような意味かな。色々やかましい喧噪から離れて、富士宮へ移って「今は静かに馳求心を捨てきったさわやかな心境であるよ」と守拙禅師が笑っているようです。

返信2019年6月13日 4:40 AM

高澤翠雲24/

加納は草書ばかりの載っている草書字典というバカでかい字書を見ながら、納得のいくまで自分独自の草書のスタイルを追求しておりましたので、草書の形としてはスタンダードとは思われないものを変化させていることも多くあります。この「寂」「無」「哉」などはなかなか読みにくい草書と思われます。祝允明あたりの草書の形を変化させたものと思います。

返信2019年6月13日 7:29 AM

高澤翠雲24/

4:24のコメントで打ち間違いがあり意味不明な言葉になってしまいました。≪否定の語と、とら(捉)えるかもしれませんが≫のあやまりです。それから「無」字は般若心経の方の二番目にでてくる「無」の草書体が似ているので見比べてみてください。

返信2019年6月13日 7:26 PM

星ノ氣功24/

こんにちは。解説、本当にありがとうございます。 気功の練習の心得として、「寂」というものがあります。 「寂寞無事哉」その境地をめざして、気功も練習します。意味を解説していただいて、とてもうれしいです! 本当にありがとうございます。

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